宮崎そば打ち倶楽部延岡のそば打ち練習会を20名の参加で行い、昼食にもり蕎麦で食べましたがやはりこの時期味が今一なのでお代わりは急遽ぶっ掛け蕎麦として食べました。今後北海道産の新そばが出るまでの一月間工夫しながら食べることとします。
40年程前妹が長野県飯山市の民宿に嫁いだ為その頃からオヤマボクチを使用したそばを食べておりました。
40年程前妹が長野県飯山市の民宿に嫁いだ為その頃からオヤマボクチを使用したそばを食べておりました。山奥の農家が副業として始めたような店で、平打ち麺で茹で時間は20秒、その頃食べていた蕎麦と触感が違い感激するほど美味しいそばでした。先代が無くなり代替わりした店は市内に移転味は変わりました。最近は同様の店舗も開店しておりますが味は今一です。その頃私は食べるだけの蕎麦好きでしたが、そば打ちを始めたので以前食べた味の蕎麦を自分も打ちたく、昨年から妹に頼み教える店を探していたのですが今回体験してみました。今回お願いした民宿は最初「湯捏ね」してからの方法をとっておりましたが、湯捏ねしない方法もあるようで、10月頃別の店で勉強をしようと思っております。
お盆で帰省した民宿の孫たちがそば打ちを始めましたが、門前の小僧なにやらで上手に打っており切りも自分たちで教わりながらどうにかこなして、茹で上がった蕎麦を話もせずに黙々と先を争うように食べており、見ていて微笑ましい限りでした。
宮崎そば打ち倶楽部延岡の先週に続いての練習日、森ファームより取り寄せた新春そば常陸秋そばを使用しました。
宮崎そば打ち倶楽部延岡の先週に続いての練習日、森ファームより取り寄せた新春そば常陸秋そばを使用しました。水回しを始めるとそば粉の香りが、久しぶりに嬉しくなりながら続けるとことのほか粘りがあるようですが、青みはそれ程強くはありませんでした。
午後からは5時から行う「豊平流二段位合格祝い」の調理に取り掛かり、スマカツオ・青あじの刺身、牛肉のたたき、チキン南蛮、鳥のから揚げ、アラの煮付け、パンプキンサラダ、茄子の煮浸し、鰊酢の物、冷奴、オニオンポン酢、アサリの酒蒸し、おにぎり、豆乳ごまプリン等を手作りし自宅二階を会場にして行いました。
参加者からは予期せぬお祝いを頂き(八海山大吟醸酒)、後日そば友と味わって飲みたいと思います。皆さん有難うございました。
今回は鳥取砂丘で作った砂丘長芋を取り寄せての「山掛け蕎麦」、福井県大野産の粗挽き粉による「蕎麦掻き」、弟子屈産の「もり蕎麦」の三品をお出ししました。
眼科主治医主催による蕎麦会会場にはガス配管がされてなく当初一般的なカセットコンロを熱源としておりましたが、カロリー不足のため希望する茹でが出来ませんでした。漸く3000カロリーのカセットコンロを見つけ、そばを鍋に入れ直ぐに蓋をすることによりどうにかそれなりの茹でが出来るようになりましたが、どんな悪条件でも工夫をしてそれなりに最大限を尽くす良い勉強になっております。
今回は鳥取砂丘で作った砂丘長芋を取り寄せての「山掛け蕎麦」、福井県大野産の粗挽き粉による「蕎麦掻き」、弟子屈産の「もり蕎麦」の三品をお出ししました。いつもの写真係?が撮り忘れ「準備中」と「山掛け蕎麦」しか写真が有りませんのでご勘弁を………
宮崎ガス延岡支店主催によるそば打ち教室三回コースの第一回目、初体験者五名、再体験者五名の十名で行われました。
宮崎そば打ち倶楽部延岡の練習会を入会者3名も含めた22名の参加で行いました。
眼科主治医による蕎麦会今回13名の参加で行われ前以って「ぶっ掛け蕎麦」の希望がありましたので、弟子屈産の摩周そば粉での「ぶっ掛け蕎麦」と「達磨 雪花山房」製粉のそば粉での「もり蕎麦」をお出ししました。
宮崎ガスそば打ち教室、今回からはコース内三回の昼食を「ざる蕎麦」「ぶっ掛け蕎麦」「温蕎麦」と三種を味わって頂く事とし、本日は揚げ玉、蒲鉾、葱を入れた「温蕎麦」をお出ししました
豊平流そば打ち四段位審査会
主催宮崎ガス㈱延岡支店、協賛宮崎そば打ち倶楽部延岡による「名人高橋邦弘そば打ち一般公開」が行われ、生憎の雨にも関わらず大勢の方が見学に見え、そば打ちの妙技との蕎麦味噌をお付けした蕎麦を堪能したようです。
主催宮崎ガス㈱延岡支店、協賛宮崎そば打ち倶楽部延岡による「名人高橋邦弘そば打ち一般公開」が行われ、生憎の雨にも関わらず大勢の方が見学に見え、そば打ちの妙技との蕎麦味噌をお付けした蕎麦を堪能したようです。午後からは高橋名人ユーモア入りの絶妙な解説で模範打ちをされ、その後「達磨」スタッフ指導の下で宮崎蕎麦打ち倶楽部延岡のそば打ち勉強会を行いました。
午後6時からはホテルメリージュの日本料理「瓢寸坊」で十四代二銘柄、地酒千徳大吟醸、久保田千寿、八海山吟醸などの日本酒で打ち上げ会食を行い、二次会は宮崎そば打ち倶楽部会員の店ラウンジ「あすか」、高橋名人自ら最初に十八番を歌い盛り上がって来たところで
気が付けば既に12時近くと成り先ずは高橋名人ホテルに帰えられました。その後も残った達磨スタッフとそば打ち倶楽部会員の交流は続き帰宅してみれば1時近くと成っておりました。